このところご葬儀が続いている。
導師控室で、ご遺族が故人について思い出を語ってくださるのだが、未亡人の話をお聞きしていると、つい我が身と引き比べてしまう。
「真面目な人」「仕事一筋の人」「とってもやさしい人」といった話だと、
(わしとはずいぶん違うな)
私が死んでも、うちの家族は絶対に口にしない言葉である。
反対に、「我が儘な人」「横暴な人」「好き勝手に生きた人」といった人物評であれば、
(わしに似とるな)
と思いつつ、
「しかし、根はやさしい人だったんじゃないですか」
我が身を擁護する気分になって、そんなセリフが口をついて出てくる。
「そうなんですよね」
と言ってくだされば私も安心するが、
「とんでもない」
否定されると、何だか私が批難されているような気分になるのだ。
トランプ大統領の横暴が連日メディアをにぎわせている。
「とんでもない男!」「自分さえよければいいんだから!」
トランプ大統領の顔がテレビに出るたびに、愚妻が柳眉を寄せて罵(ののし)っている。
私もそれに賛同し、「そうだ、そうだ」と言っていたのだが、
(ちょっと待てよ)
と気がついた。
トランプ大統領に対する罵りは、実は私に対する罵りではないのか。
いまはトランプ大統領に仮託して罵っているが、私が死ねば、
「我が儘な人」「横暴な人」「好き勝手に生きた人」
と、葬儀のときに導師にこぼすのだろう。
『棺(かん)を蓋(おお)いて事定まる』
と言う。
「人間の真価は、死んでから決まる」
という意味だが、夫婦の実相もそうかも知れないと、連日の葬儀に思うことである。