ウォーキングしていると、たとえば路上のバッタが足音を聞きつけ、距離をとるように私の進行方向に跳ね逃げていく。
私が歩みを進める。
バッタが進行方向に跳ねる。
何度か繰り返され、そのうち草むらに入って見えなくなる。
この「進行方向に跳ねる」というのが何とも愚かしくて、私はいつも笑うのだ。
後ろから何やら迫ってくる、前に跳ねる、迫ってくる、前に跳ねるというのでは解決にならないではないか。
私の進行方向を避け、横にポーンと跳ねればいいのだ。
その知恵がバッタにはない。
「目前の危機」に眼を奪われ、彼我がどういう位置関係にあるか俯瞰して見ることができないのだろう。
だが、愚かだと笑いながらも、私たちもそうと気がつかないまま、バッタと同じことをやってはいまいか。
目前の危機、目前の問題、目前の悩み、目前の享楽といった「目前」に目を奪われ、愚かにも一喜一憂しているのではないかと、昨夕、ウオーキングしながらふと思ったのである。
俯瞰して見ることは大事だ。
だが、問題はどの程度の高さから見おろすかであろう。
これは難しい。
愚にもつかないことだと思いつつも、ウォーキングしているといろんな考えがよぎるのである。