歳時記

人生、損をすればよいのだ

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昨日、本日と、通夜・葬儀が終わった。
一昨日は納骨、明日は四十九日法要である。

法務も連日となると、いささか疲れる。

愚妻は私のことを「怠け者」だとか「趣味で生きている」と非難するが、そんなことはない。
自分で言うのはいささか気が引けるが、何をやるにも全力投球で、閃きにも、瞬発力にも自信がある。

だが、この閃きと、瞬発力と、全力投球が時としてやっかいなのだ。

たとえば葬儀が始まる直前になって、いま書いている原稿の描写が突如として閃く。
すぐに瞬発力でもって、スマホのグーグルドキュメントに打ちこむ。
前回、このブログで書いたように、閃きは一瞬にして消え去るからだ。
メモは執らなくなったが、喫緊の仕事に関してはそうはいかない。

ところが打ちこんでいるうちに、次から次へとアイデアが湧いてくる。
全力投球なのだ。

と、すると、導師控室がトントンとノック。
ハッと我に返る。
「お時間でございます」
式場の係りに告げられ、あわてることになる。

かくのごとし、私の全力投球は何事においても「アヒルの水かき」であるため、愚妻あたりのボンクラな目には見えない。

私は苦労が顔に出ないタイプだと言われるし、自分でもそう思っているが、こういうタイプは誤解を招きやすく、人生で損をしているのではないかと70歳を過ぎて思うのである。

努力していなくても、努力しているように見える人。
苦労していなくても、苦労がうんと顔に出る人。
やさしくなくても、やさしく見える人。

こういうタイプは人生で得をするのではないか。

しかし、私はそうと承知しながらも、そういう処し方はあざとく、みっともないと思ってしまう。
人生、損をすればよいのだ。

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