宅配弁当に切り替えてみた。
どうしてそうなったのか、私にはよくわからない。
老夫婦のふたり暮らしであれば、コスパも、栄養面もそのほうがいいというのが愚妻の主張である。
土、日をのぞく週5回の配達で、不要の日は事前連絡をしてキャンセル扱いということになるらしい(くわしくは知らない)。
弁当だと厭きるだろうから、これに外食を組み合わせようというわけだ。
けっこう豪華な品揃えで、これから弁当は多様化し、加速していくのだろう。
だが、人間の心理は天の邪鬼なもので、「配達される」はこちらには手間がかからず、したがって有り難みが薄い。
一方、「食べに行く」は、こちらにも努力が求められる。
したがって、無意識に有り難みが厚くなるという次第。
つまり価値観は、努力に比例するということなのである。
このことを先人は「易(やす)きものに価値なし」と喝破した。
「努力」は「価値観」と表裏をなす。
古今普遍の真理である。