歳時記

「存在」ということ

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ウォーキングは午後3時からだ。

時間になっても自室にこもっていると、
「ウォーキングしないの?」
愚妻が部屋に入ってきて言う。

用事がない日は午後3時から歩くことにしているので、
「この人は歩く」
という思いが、愚妻の頭に刷り込まれているということだ。

ここに「思い込み」や「評価」の本質がある。

「あの人は、こういう人だ」
という評価や思い込みは、あることを繰り返すことで定まることになる。

これを、いまふうに言えばセルフ・プロデュース。
あるいは自己演出。
くだけて言えば、「なりたい自分になる」ということ。

仏教は「諸法無我」と教える。
すなわち、自分という存在は関係性において存在するのであって、
「自分という実体はない」
という意味だ。

自分という実体がないのであれば、自己演出をもって「存在する」ということになる。

さて、今日は夕方からお通夜のお勤めだ。
もの言わぬご遺体に対面していると、「存在」とは何か、いつも考えさせられるのだ。

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