歳時記

喜憂一如

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先日、通夜でのこと。
故人の娘さんの到着の都合で、通夜式の開始時間を少し送らせて欲しいと葬儀社のスタッフに頼まれた。

葬儀であれば、火葬の開始時間を予約してあるので進行は時間厳守だが、通夜はそれがない。

娘さんの到着時間がハッキリしないので、いつでも出仕できるよう法衣の着替えをすませ、スタンバイしていていると、手許から小さな珠が床に転がった。

しゃがんで拾い上げると、なんと双輪念珠の珠ではないか。

続けて何個か床に落ちて転がる。
念珠が切れたのである。

双輪念珠は儀式に用いるもので、ジャラジャラと長く、二つの輪っかにして手に持つ。
切れていても手に巻きつければいいだろうと思って巻きつけてみると、珠がさらにバラバラと落ちてしまった。

紐が切れているのだから当然だ。
切れた部分を縛って瘤にすればよかったのだが、あとの祭り。
こぼれ落ちた珠は元に戻せない。
私は複雑な思考は得意とするが、こういう単純な思考と作業が苦手なのだ。

だが、こういうこともあろうかと、予備の双輪念珠をクルマに積んである。
もちろん雪駄や白足袋、単念珠、さらに安全ピンなども用意してある。

あわてず騒がず、駐車場に双輪念珠を取りに行き、ことなきを得た次第。

結局、30分遅れで通夜は開式したが、これが時間どおり始まっていれば、開式間もなく双輪念珠の珠がバラバラと床に転がるところだった。

まったく何が幸いするかわからないと改めて思った。

まさに何事も一喜一憂するなかれで、「憂」は「喜」に転じ、「喜」は「憂」に転じるということ。
「喜憂一如」という言葉を思いつく。

愚妻の乳ガンも「喜」に転じることだろう。
励まそうと、帰宅して双輪念珠のことを話すと、

「あなたの言うことは、どうもウソっぽいのよねぇ」

救い難い女なのだ。

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