今日の午後、退院後の初診察と治療方針の説明が主治医からあった。
放射線を25回ということだ。
それはいいのだが、土、日をのぞき、毎日照射すると聞いて、私は思わずうなった。
法務のない日は毎回、送迎しなくてはならないではないか。
「わしは妻の介護で心身ともにボロボロだ」
帰途のクルマのなかで言うと、
「ちょっと、ボロボロなのは私でしょ! 退院した日から用事ばかり言いつけているのは誰よ」
元気になったのは結構だが、手術前よりテンションがワンランク上がったようで、先が思いやられるのだ。
しかし、治療もいいが、人間はいつポックリ逝くかわからない。
風呂に入ったまま亡くなる方もいれば、朝起こしに行ったら亡くなっていたという方もいる。
葬儀に出仕すると、ご遺族からそんな話を聞く。
放射線治療を毎日毎日25回も受けながら、ヒートショックでポックリ逝ったとしたら、何のための治療かわからないではないか。
ポックリはしょうがないとしても、周囲に迷惑をかけないためにも可能な限り健康には留意すべきだ。
「よし、おまえもウォーキングを始めよ」
厳命し、散歩コースを考えるよう告げると、愚妻はしばし考えてから、
「田圃道は虫がいるし、道路沿いは排気ガスでしょう。こっちは坂があるし、あっちはあまり気が乗らないし。これといったコースはないみたいよ」
人間は、努力を要することについては、「やる理由」より「やらない理由」を探し、それを言い訳にするという。
なるほどそのとおりだ。
それでも私は送迎をしなくてはならない。
困ったものだ。
「なんで乳ガンになったのだ」
思わず口にすると、
「訊きたいのは私だわよ!」
怒らせておけば元気なのだ。