執筆用の椅子が、かなりガタがきた。
仕事をしていると、ほんの数センチだが、体重の重みで勝手に沈み込む。
「買えばいいでしょ」
愚妻はあっさりと言うが、私は躊躇する。
椅子を組み立てるのは愚妻の役目で、私は一度として組み立てた経験がないからだ。
これまでであれば、
「おい、組み立てておけ」
命じればそれでいいのだが、乳ガンの愚妻に高飛車で命じるのは何となく憚(ばばか)られるのだ。
それで椅子の購入を躊躇しているのだが、私のこの気づかいを忖度できないところが、愚妻の限界ということか。
それでもうるさく言うので、品数が豊富な量販店へ出かけた。
私は椅子の好みがすこぶるうるさいため、品数が豊富でなければならないのだ。
私は事務員ではないので、機能は二の次。
執筆中はしばし黙考するため、座面は胡座をかけるほどの広さがいる。
それもリクライニングではなく、ロッキング機構でなければならない。
背もたれも高くなければダメだ。
そんなこんなで椅子を選んでから、店の人に、
「組み立ててあるやつ、ないの?」
問うと、費用を払えば組み立ててくれるとのことだが、組み立てた椅子はかさばる。
「クルマに積み込むのが大変だな」
私がつぶやいて愚妻に目をやると、
「わかったわよ、私が組み立てればいいんでしょ」
そんなわけで数日前に購入したが、愚妻はまだ組み立てていない。
催促するわけにもいかず、ここは静観である。
というのも先日のこと。
「以前のようにこれから着物を着るから、タンスの整理を手伝うように」
命じたところが、
「ちょっと、私は乳ガンなのよ。いまそれどころじゃないでしょ!」
怒鳴られたばかり。
乳ガンの当人も大変だろうが、私だって大変なのだ。
そう、人生はいつだって大変なのだ。