昨日、我が家のかかりつけ医院へ、月に一度の診察に出かけた。
その数日前に愚妻が先に医院に行っており、愚妻が乳ガンのことを報告すると、
「いまどき乳ガンくらい、大丈夫ですよ」
笑い飛ばしてくれたと感謝していた。
そのことがあるので、医者は私に対しては、
「ご主人、心配しずぎると精神的に参りますから気をつけてください」
そう言ってくれたが、
「あっ、大丈夫です。心配しても何の解決にもならないことは、心配しないことにしているんです」
医者は曖昧な笑顔でうなずいていた。
来月の頭まで、抗ガン剤投与はない。
手術をしても、これから先、転移のチェックが何年も続く。
長丁場である。
ガンでなくても、何で命を落とすかわからない。
ご葬儀に出仕すると、つくづく思うことではないか。
私は「杞憂」という言葉が大好きだ。
中国古代の杞の人が、
「天が崩れ落ちてきたらどうしよう」
と心配した故事である。
昔からだが、私は歩いているときなど、たまに空を仰いで杞の人の心配を想像してみる。
(天が崩れる)
笑いはするが、笑い切れないところに、人間の面白さを見るのだ。