長野の善光寺が、7年に1度のご開帳で混雑しているとニュースで報じていた。
それを観ながら愚妻が言う。
「よかったわね、ご開帳のときでなくて」
「まったくだ」
私もうなずく。
私たちが善光寺に言ったのは先月。
フツーの感覚であれば、
「もうちょっと遅らせて、ご開帳に合わせて行けばかった」
ということになるのだろうが、私たちは逆なのである。
ずいぶん前になるが、山形の知人に招かれ、泊まりがけで出かけたときのこと。
「山寺にご案内しましょう」
と言われて、
「いや、結構です」
山寺は、芭蕉の『閑さや 岩にしみ入る 蝉の声』で著名だが、夫婦して「観光」には無関心。
知人は不思議そうな顔をしたものだ。
どこへ旅行しても、観光をしない。
特に私はそうだ。
必要があれば観に行くが、そうでなければスルーする。
ヘソ曲がで天の邪鬼の私は、その地に行けば「観るものである」という固定観念がイヤで、逆らうのである。
今年は桜を見に行かなかった。
四季を愛でるのは大好きなのだが、見ごろがいつだとか、いつ散り始めるだとか、テレビの司会者のケツを叩くような言い方が気に入らず、今年は見に行かないことにしたのである。
もともと、強制されたり煽(あお)られたり、頭を押さえられたりすることが大嫌い。
そのかわり、進んでやることは、どんな結果になっても納得する。
歳を取れば頑固になるというが、私の頑固もますます磨きがかかってきたようで、これからどんどん嫌われていくのだろう。
ガンコ、上等。
ワガママ、上等である。