僧衣の下に着る白衣や肌襦袢、白足袋など一式は、法務から帰宅すると、いまだに私が洗濯機に放りこんでいる。
白衣は畳んでネットに入れるし、洗剤に柔軟剤(と言うのかどうか)を放りこむ。
これらの作業が当初は新鮮で楽しかったが、いまは面倒になった。
嫌々やるからおざなりなる。
で、今日のこと。
法務に出かけようとして、いつも置いてある場所に念珠がない。
念珠はもちろんいくつか持っているが、このところ使っているやつがないのだ。
しばし考えてピンときた。
「おい、きのう洗った白衣の袂(たもと)に何か入っていないか?」
愚妻に探させたら、あった。
袂から念珠を取りだすのを忘れ、そのまま洗濯機に入れたのである。
「おい、干すとき気がつかないのか」
叱責すると、
「脱ぐときに取り出すんでしょ」
言い返す。
「バカ者。干すときにポケットや袂などは必ずチェックするものだ」
「人のせいにしないでよ。洗う前にチェックするんでしょ」
しばしチェック論争が続いたが、双方ゆずらず、ドロー。
ロシアや中国を持ち出すまでもなく、「言い張る」は最強の武器であることを改めて痛感した次第。
いつも書くがごとく、百人いれば百の正義があり、それぞれに立脚して「言い張れば」、すべては正義となる。
これも生きる智恵の一つなのだ。