ヘソの傷の痛みは取れてきたが、まだ少しグチュグチュしているので、軟膏を塗った上からガーゼで押さえ、テープで止めている。
一日に何回となくシャワーを浴び、そのたびにガーゼを取り替えるため、テープを貼った跡が赤くなっている。
このままでは、かぶれてしまうので、テープが同じ箇所にならないよう横に貼ったり、縦に貼ったり、バッテンに貼ったり、愚妻が天眼鏡でチェックしながら貼る。
面倒なことだが、愚妻はこういうことが大好きなのだ。
だから何度、貼ってもイヤな顔をしない。
好きなことは苦にならないどころか、嬉々としておこなうという「人間の本質」が実によくわかる。
すなわち、「苦」から逃れる最良にして簡単な方法は、「好きになる」ということになる。
好きになればいいのだからコストはかからない。
しかも、自分だけの問題。
自分で勝手にそう思えばいいのだ。
蓼(たで)は辛みのある植物であるにもかかわらず、これを好んで食べる虫もいることから、「蓼(たで)食う虫も好き好き」という諺が生まれた。
なんだって「うまい、うまい」と思って食べれば、この世にまずいものはない。
毎日が楽しいと思って過ごしていれば、この世に「苦」は存在しない。
要は、自分とどう向き合うかという一点につきることに気づかされた「ヘソの傷」なのだ。