歳時記

傷口の化膿

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先週なかばから、下着のヘソのあたりに血が混じったシミができるようになった。
「大丈夫なの?」
愚妻が神経をとがらせる。

傷口を心配しているのではない。
洗濯のことを考えてのことである。

「安心せよ。こうして汁が出るたびに回復していくのだ」
「誰がそう言ったの?」
「私だ」
「ちょっと、見せてごらんなさいよ」

天眼鏡を持ち出すと、顔を近づけ、小さく切開してあるヘソの脇をじっとのぞきこむ。
手相観ならぬ〝ヘソ観〟である。

「ウミが出ているんじゃないの?」
「根拠は?」
「何となくそんな感じするわね」

だが先週末は、かねて約束の法事が2件ある。
ヘソが痛いが出仕しなければならない。
困ったのは白帯(白衣に閉める帯)と、クルマのシートベルトである。

締めつけると痛い。
白帯は超ユルユルに巻き、シートベルトは洗濯ばさみ2個を用いて超ユルユルにして出かけた。

だけど、座るというのは腹部に圧力がかかる。
「痛テテテ」である。

帰宅すると、愚妻が待ち構えていて、すぐに天眼鏡で〝ヘソ観〟だ。
「やっぱりウミだわね」
得意顔で言う。

それで連休明けをまって今朝、手術した大学病院へ。
愚妻の見たてどおり化膿しはじめていた。

軟膏に抗生物質を処方してもらったが、
「ウミが溜まるようでしたら局所麻酔で切開ですね」
医者がイヤなことを言うのだ。

資料を読んだり、やることはたくさんあるのだが、
「寝てなさいよ。寝ればよくなるんだから」
愚妻がうるさい。

私の傷口を心配してのことではない。
起きていると、うるさいからである。
かくして延々とベッドで横になっている。

「毎日が日曜日」とは、定年後、なにもすることがなくヒマを持て余すことのたとえだが、病気の場合は、痛みの苦しみがヒマの苦しみを凌駕する。

すなわち、「毎日が日曜日」に苦しむ元凶は、「元気」にあるということになるではないか。

元気は常に「善」とは限らず、ときとして「罪」になるのだ。
ここに人生の真理と皮肉がある。

「おい、発見だ!」
このことを愚妻に話すと、
「いいから、はやく二階に上がって寝てなさいよ」
聞く耳を持たないのである。

テーブルの上に天眼鏡。
診察が終わった今となってはもう関心がないらしく、愚妻は見向きもしないのだ。

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