歳時記

今年の折り返しである

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いよいよ今年の折り返しである。
コロナも気がつけば一年半になる。
一年が、五年が、十年が瞬(またた)く間にすぎてゆく。

だが、すぎゆく時に嘆息はしても、これから先の人生もまた、同様に瞬く間であるということに思いが至らない。

「ホント、早いはねぇ」
昨夜、愚妻が焼酎のロックでノドの消毒をしながら、人ごとのようなことを言っているので、
「おまえの人生も、あっという間に終わる」
諭すのだが、
「ちょっと、人を殺さないでよね」
アッケラカンと言って、グラスの氷をカラカラと鳴らしている。

千年も万年も生きると思っているのだろう。

人の世の栄枯盛衰の儚(はかな)きを「邯鄲(かんたん)の夢」の故事で説くが、蓮如上人もまた、
「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり」
と『白骨の章』に説く。

コロナも、五輪も、ガースー総理も、大坂なおみ選手の全仏ボイコットも何もかも、時代というミキサーに放り込んでガラガラ攪拌するうちに人生は過ぎ去っていく。

これを儚いと思うか、とっとこ過ぎ去っていって「ありがたい」と思うか。
人生を、大河の滔々と流れるごとく俯瞰(ふかん)して見られるかどうか、ここいらで幸不幸が決まるような気がするのである。

今朝はゲラの校正をするため、階下の和室で仕事をしている。
久しぶりに庭を面前にしたが、木々が陽光を受けて深緑に輝いている。
さあ、今年の後半戦のはじまりである。

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