総理大臣という地位は、そんなに魅力があるのだろうか。
安倍総理の辞任会見を見ていて、そう思う。
臣民としては日本でいちばんエラいかもしれないが、私ならまっぴらごめんだ。
テレビニュースを見ながら愚妻にそう言うと、
「あなたに総理になってくれなんて誰も言わないわよ」
ニベもない。
愚かな女は実に困ったもので、私としては、権力欲の話から煩悩へと展開しようと思っているのに、こういうリアクションをされたのでは会話が続かないではないか。
「わしは総理になりたとい言っているのではない。総理のどこが楽しいのかと言っておるのだ」
「だから、あなたが心配することはないと言っているのよ」
「心配なんかしておらん。どこが楽しいのかと・・・・」
「しつこいわね」
会話は一歩も進まず堂々めぐりをし、安倍辞任の話題は次第に険悪な雰囲気になっていくのである。
愚妻に言われるまでもなく、総理どころか、町内会の役員にすらなれない私だ。
だが、「総理」と「僧侶」は漢字で書けばまるっきり違うが、読みは「ソウリ」と「ソウリョ」。
ヨが付くか付かないかの違いではないか。
「わしは総理にはなれんが、こうして僧侶になっておる」
愚妻に言い返したところが、ジロリとニラんで、
「そんなこと、恥ずかしいから外へ行って言わないでよ」
どこまでも逆らうのだ。