露天風呂で朝の陽光を浴びながら、トンボや蝶が自在に飛んだり舞ったりするのは見ていて厭きない。
至福のひと時であり、贅沢の尺度は決して金銭でないことが実感としてわかる。
「おまえみたいなヒマ人はそうはいない」
という批難は当たらない。
私だって忙しく、やらなければならないことが山のようにある。
それでも「忙中閑あり」。
時間をやりくりして、露天風呂に浸かる時間をヒネリ出しているのである。
愚妻のように「忙中閑あり」の逆で、「閑中忙あり」であっても、朝の温泉が生活のリズムになっている。
朝寝、朝酒、朝湯が大好きなのは、民謡『会津磐梯山』に出てくる「小原庄助さん」で、これがいつしか怠け者の代名詞とされるようになった。
朝寝と朝酒はともかく、朝湯は実に爽快で、かの田中角栄も朝風呂に浸かってから一日をブルトーザのごとく働いた。
私はブルトーザにはもちろん逆立ちしてもおよばないが、軽トラックくらいの働きはしているつもりなのだ。
気がつけば、4連休はとっくに終わっている。
しゃくなので、海辺の町にでも行って新鮮な魚でも食べてくるか。
「刺身でも食うか?」
と言ったのでは愚妻は乗ってこない。
「おい、日本酒どうだ? 刺身でキュッ」
こう言えば必ず乗ってくる。
案の定、二つ返事だった。
愚妻と行きたいわけではない。
彼女がキュッとやれば、勘定は向こう持ちになるのだ。