今朝、最後の粗大ゴミを捨てに行った。
数えたら、今月は処理場まで5往復である。
これで気分もスッキリした。
頑丈な大型のハンガーラックを2つ購入し、法務用とした部屋の壁に設置して、法衣と着物を吊った。
夏用の着物を吊るに際して、タンスや押し入れを調べると、袖無し羽織に直したものとか、作務衣の陣羽織とか、夏用の長襦袢とか、あれやこれやが出てきて、
「おっ、こんなものを持っていたのか!」
思わず喜びの声を上げると、
「何を持っているのかも知らないんだから、どうかと思うわね」
愚妻が冷ややかに言う。
私は揃えるのが楽しく、買ったら忘れてしまうのだ。
一度も引いたことのないギターが押し入れから出てくる。
卓上将棋盤と駒台も出てくる。
何年前だったか、近所に住む孫が将棋をやるというので、榧(かや)の盤を奮発したが、一度も使用しなかった。
キャンプに興味を持っていたころに揃えたナイフが何本も出てくる。
古くなった釣り竿とリールも出てくる。
不要のものは全部捨てた。
物置をゴソゴソやっていた愚妻が、
「ちょっと、キャンプ用具はどうするのよ!」
でっかい声で非難がましく言うので、
「大地震が来たとき、食器や寝袋はたちまち必要になるのではないか」
破棄するのが面倒なのでそう言い返すと、
「それもそうね」
コロリと現実的な判断をするのだ。
こうして今朝、霧雨のなかを処理場に運んだ。
これから仕事に没頭しようと思っているが、身が入らない。
粗大ゴミという懸案の大仕事が終わって、気が抜けたのだろう。
人生も同じ。
難題は心の張りのようなもので、解決するのは必ずしも善とは限らない。
そう思えば、難題もまた違って見えてくるのだろうと、粗大ゴミを通して納得したところである。