マスクにハッカ油のスプレーをすると気分爽快になるとか。
人気で、売り切れになっているとテレビでやっていた。
すぐに買わねばならない。
愚妻を呼びつけ、その旨命じると、
「私、使っているけど」
こともなげに言った。
何と、愚妻はとっくにハッカ油スプレーを、自分だけが使用していたのである。
コロナ第二波に備え、愚妻はフェイスガードも密かに改良を加えているようだ。
ハッキリは言わないが、言葉の端々でそのことがわかる。
マスクも吟味している。
「備えあれば憂いなし」と言うが、我が家の場合、「備え」は愚妻だけ。
私は無防備なのだ。
だが、私がコロナに感染すれば、当然、愚妻にも感染する。
自分だけ「備え」をしても意味をなさない
愚かの極みである。
そのことを指摘するが、意に介さない。
どうやら愚妻は、「備える」ということ自体が好きなのではないか。
うかつにも、結婚して40余年、そのことに今まで気づかないできた。
人間というのは、何と不可解なものか。
『日々新又日新』(日に新たに、日々に新たにして、又た日に新たなり)。
毎日が、発見の日々なのである。