歳時記

着物を直すというアイデア

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昨日、房総半島・御宿の古民家レストラに行った(『愚為庵』という名前です)。

親鸞はみずからを「愚禿」と称したし、親鸞の師である法然は「愚者になりて往生する」と言った。

「愚」という字は意味が深く、そんなことから『愚為庵(ぐいあん)』という店の名前は、私のお気に入りである(店の由来はHPで見てください)。

で、昨日。
女将さんに、着物を和風コートに仕立て直すということを教わった。
現物を見せてもらったが、実によろしい。

私は羽織を二枚直して、法衣で外出するときに上に着ている。
葬儀や法事など、式場近くに早めに到着し、ファミレスなどで時間調整をするのだが、法衣の上に何か引っかけていたほうがいいという先輩僧侶のアドバイスに従ってそうしている。

春秋は季節として丈の短い羽織は悪くはないが、秋口以降はちょっと寒い。
和装コートもインパネスも持ってはいるが、法衣には大仰な感じがしないでもなく、何かいいものはないかと考えていた。

長着の直しとは、実にいいアイデアではないか。

思わず膝を打ったが、
「格好ばっかりなんだから」
愚妻が帰途のクルマで批難する。

だが、これは思慮が足りない。

「いいか、格好がどうでもいいというなら、葬儀に法衣は不要。パジャマで読経すればよい」
たしなめたが、すぐに反省した。

直しに持っていくのは愚妻なのである。
私はよくは知らないが、愚妻の知人の知人で、個人的に和裁をやっている方がいらっしゃるとかで、これまでも和装関係の直しは、その人にお願いをしていた。

「持っていかないから」
と、ゴネられて困るのは私なのだ。

「明日も日帰り風呂に行くだろう?」
すぐに話題を転じて、ご機嫌を取った。

世の中も夫婦も所詮、力関係なのだ。

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