コロナ警戒が緩んできたようである。
非常事態宣言の解除に加えて、検査庁法改正が喫緊の問題になったことで、メディアも私たちも一気に関心がそちらに移ったからである。
強行採決すれば政権批判が起こってコロナどころではなくなるだろうし、今国会の成立が見送りになっても、コロナに対する関心と警戒をこれまで同様に呼び起こすのは、緊急事態にでもならない限り、難しいだろう。
関心や興味、警戒といったことは、竈(かまど)の火を落とすのと同じで、いったん気が削がれてしまうと、元にはもどらないものなのである。
コロナ禍を「国家の非常時」としながら、安倍内閣の迷走ぶりに対して、
「選挙という国民の信任を得た内閣。責任は安部でなく、私たちにある」
といった意見をメディアで口にする御用評論家もいるが、これは詭弁。
「国民の信任を得て発足した内閣だかららこそ、監視と批判を怠らないのが私たちの責務」
というのが正しい。
タレントのボビー・オロゴン容疑者の奧さんに対するDVがニュースになっているが、これも同様。
「自分の意志で結婚したのだから、責任は奧さんにある」
という「自己責任論」の詭弁がまかりとおれば、歴史に残る非道な独裁者だって「正しい」ということになる。
ワルはいつの時代も「私は正しい」と言い張るのだ。