コロナ禍でテレビ会議や打ち合わせが加速し、そのうち当たり前になる。
「リアル(現実)」に対して「バーチャル(仮想)」だったものが、「バーチャル=リアル」になってきたということである。
リアル派はこれまでバーチャルなものを「非現実」として批判をしてきたが、コロナ禍で大きく様変わりしてきたということか。
その昔、テレビが普及しはじめたころ、大物映画俳優はテレビを「電気紙芝居だ」と嘲笑して背を向け、時代に乗り遅れた。
原稿を書くのも、
「ワープロやパソコンで書くと、文章が荒れる」
といったことを作家が言っていた時代もある。
安易に書き出すから文章に緊張感がないという意味だろう。
あるいは、
「手書き原稿の直しの跡を見るからこそ、この作家はどこで苦心したかわかるのだ」
と言っていた編集者もいた。
だが、いまはどうだ。
大作家ならともかく、手書きの原稿は版元にイヤな顔をされる。
判読しずらいだけでなく、編集作業・制作過程に時間がかかってしまうからである。
「時代」というのは不思議なもので、人間がつくり出しているはずなのに、人間が結局、時代に吞みこまれている。
漫然と生きていると、大河のような時代に溺れてしまう。
私は繰り返し、突然変異でしか人生も時代も変わらないと書くが、いまのコロナ禍がまさにそうかもしれない。
コロナは実は人生を変える絶好のチャンスなのだ。