歳時記

私の誕生日

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今日は私の誕生日である。

忘れていて、昨夜、近所のイタメシ屋に行ったら、
「明日は誕生日ですね。おめでとうございます」
と言って、店の主人がステーキをサービスしてくれ、ハタと気がついた。

実を言うと、ここ数年、牛ステーキはしつこくて敬遠していたのだが、なぜか昨夜に限り、ステーキが食べてみたくなり、注文しようかどうしようか迷っていた。

そこへ突然、ステーキが出てきたので、サービスに驚くより、肉が出てきたことに驚いた次第(主人には申し訳ないけど)。

「68歳。残りの人生が少なくなり、今夜のステーキは一生の思い出になるね」
主人にそう言ったら、
「何を言ってるんですが。まだまだ先は長いじゃないですか」

主人は笑ったが、「まだまだ先は長い」は「先が短い人」に言う言葉。
心中、複雑なのである。

こんなことを思うのも、昨日は一日葬をお勤めし、
「老少不定なれば死は時を選ばず。会者定離なれば愛別離苦は逃れるすべもなし」
といった法話をしたせいかもしれない。

「いいご葬儀をありがとうございました」
と施主に言われ、その真意、施主の心境について帰途のクルマの中であれこれ考えつつ、「死」に対する自分の考えに思いをめぐらせた。

そして帰宅し、ひと風呂浴びてイタメシ屋に行ったところが、
「誕生日、おめでとう」
と言われた次第。

ところが、愚妻は、私に供されたサーロインを半分ほどブン取って起きながら、「おめでとう」を言わない。

「なぜ、言わん」
私が詰問すると、
「誕生日をおめでたがるなって、いつも言っているじゃないの。長生きが幸せなら、早死には不幸ということになるって」

忘れていた。
人生の長短は、幸不幸とは一切関係しないのだ。

愚妻もたまにいいことを言うと感心したが、それにしては愚妻は誕生日が近づくと、
「プレゼンとは現金がいいわね」
臆面もなく言うではないか。

人間、すべからく言行不一致であることを、昨夜はあらためて思い知らされたのである。

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