歳時記

ひ弱になった子供たち

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今日は当道場の秋期審査会。
毎回、頭を痛める。
上手になった子はいいが、そうでない子もそれなりにいる。

ところが、「できない」ということが認識できていない。
これに頭を痛めるのだ。

ためしに審査のあと、
「完璧にできたと思う人」
と小学生たちに問いかけると、誰も手をあげないが、
「なんとかできたと思う人」
と言い換えると、全員が手をあげる。

そう、全員がなんとか審査種目をクリアしたと思っているのである。

だから、不合格や追試験にすると、
「なんで?」
と思うことになる。

これは教育上、よろしくはあるまい。
だから頭を痛める。

毎回の稽古のたびに、
「それじゃ、審査に落ちるぞ」
と口を酸っぱくして注意するのだが、このこともピンとはきていないのだろう。

「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」
という。

生まれたばかりの子を深い谷に落とし、這い上がってきた生命力の強い子供のみを育てるという意味だが、その前提は「這い上がる」という意志があるかどうか。

意志がなければ、谷に落とす意味はない。

道場でこれをやったら、1人として這い上がってはこないだろう。

かつて子供たちは、叱ると歯を食いしばって稽古していた。
これは私の思いだけでなく、高・大学生が自分たちの子供時代を振り返って言う。
時代が変わってきたといえばそれまでだが、最近の子供たちはひ弱になってきたと、これは実感として思う。

「ハングリー」を「夢」と同義語とするなら、夢を持てない子供がひ弱になるのは当然であり、夢を与えることのできない私たち大人に責任があると、あれこれ反省するのである。

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