「浄土」は、娑婆に生きる衆生に説くもの。
娑婆を知らずして浄土は説けない。
しかるに若手僧侶は、浄土に詳しくも娑婆を知らず、老いた衆生は娑婆に詳しくとも浄土を知らず。
夜を知る者だけが朝を知り、朝を知る者だけが夜を知る。
ウラ社会を知る者だけが表社会の何たるかを知り、表社会を知る者だけがウラ社会の何たるかを知る。
ところが私たちは、ネガティブなものに背を向け、ポジティブなものだけを拾って歩く。
だから、真理も本質も見えなくなるのではないか。
「悪」は正義の肥やしなのだ。
昨夜、腰が痛くなって、稽古のあと温泉スーパー銭湯へ。
愚妻が通う日帰り温泉は敬遠して、わざわざ遠くへ出かけた。
サウナで汗を流しながら、上記の「悪は正義の肥やし」というフレーズが浮かんだ。
「肥やし」というところがミソで、悪は転じてこそ意味を持つということか。
ヒマそうに見えて、私も何だかんだ考えるのである。
「悪」は正義の肥やし
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