朝の読経を終え、散策のため着替えようとしたら、外が何となく暗い感じがする。
雨の予報はなかったので曇天か?
外をのぞいて確かめてみればいいのだが、生来のものぐさゆえ、手もとのアイパッドで「いま現在」の天気予報を見る。
曇りである。
二日続けて晴天だっただけにガッカリするが、曇天があるからこそ、晴天の心地よさがある。
曇天こそ「心地よさの素」ではないか。
そんなことを思うと、不意に親鸞聖人のご和讃が脳裏をよぎる。
『罪障功徳の体となる こおり(氷)とみず(水)のごとくにて こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし』
このところ「親鸞教義」を読んでいるせいだろうが、なるほど視点を変えれば真逆の発想になる。
黒いものも白くなるのだ。
そういえば、ヤクザ社会は、
「親分が白と言えば、黒いものでも白くなる」
と言われるが、これは理不尽なことを象徴して言っているのではなく、「真逆の発想」という高邁な哲学的見地なのかもしれない。
深い。
実に、奥が深い。
そんなことを考えているうちに、出発が遅れてしまい、大急ぎで飛び出して行った。
田んぼがあり、畑がある。
家庭菜園もあちこちにある。
趣味でやっているだろう。
ネットを張ったり、杭を打ってヒモで囲ったり、見るからにシロウトの手作業である。
だが、見てくれが悪いからこそ、そこに人間の営みが見てとれる。
AIの時代を迎えたが、こうした営みにこそ、まさに「人間のいのち」というものを感じる。
AIという時代のベクトルに背を向けて生きていこう。
逆張りの人生である。
世間が黒と言ったら、私は白と言うのだ。
「逆張り」という生き方
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