先夜、テレビで「瞬間翻訳ツール」のことが放送された。
日本語でしゃべれば、その声が瞬時に英語の音声になるというやつだ。
WIHIでなく、オフラインだ。
私と愚妻の目が合う。
「買ったら?」
愚妻が即座に言い、私がウェブで検索し、先行販売予約をする。
この機械はICレコーダくらいのサイズなので携帯に便利だ。
日本語から英語(もしくはへ韓国語、中国語)の一方通行だが、こちらの意志が相手に伝わればいい。
愚妻は愚妻、私は私で、お互い密かに旅行英語を勉強(というほどでもないが)していただけに、この機械は強力な味方になるではないか。
旅行するたびに会話にはひと苦労である。
愚妻は、会話は私まかせなので、私がまごついていると、
「あなた、英語がしゃべれないの?」
軽蔑の眼差しで見るのだ。
これでもう大丈夫である。
あれこれ記事を調べて見ると、これからは英語でなく、お互い母国語で会話し、それを相手の国の言葉に置き換える時代になるとのこと。
英語の勉強よりも、母国語で「伝える能力」の勉強のほうが大事になってくるそうだ。
「英語をしゃべる」は、もはや能力ではなくなるということだ。
「よかったな、勉強しなくて」
愚妻に言うと、ジロリとニラんで、
「あなた、あちこちの英会話教室に通ったわね。そういえば、原宿まで行かなかった?」
嫌味を言うのだ
時代は変わる。
読経だって、テープで流れるご時世だ。
クルマも自動運転になる。
結構なことだが、便利になって人間は次第に劣化していくのだろう。
人間の劣化
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