昨日は、拓殖大学のK先輩の葬儀に参列した。
5月にK先輩と後輩のH君と3人で食事したが、ご両人とも硬派だけに談論風発。
楽しい一時であった。
H君からK先輩急逝のメールをもらった日の前夜、なぜか3人で食事したときのことが唐突に思い浮んできて、
(何でそんなことを思ったのかな)
と自分で首を傾げた。
これが虫の知らせというやつなのだろうか。
人間の心とは不思議なものだ。
生ある者が滅するのは世の習いと頭ではわかっていても、いざ現実をつきつけられると不条理のように思ってしまう。
死を不条理と思う気持ちがどこかにあるうちは、我が死を受け入れられないのかも知れないと、読経を聞きながら思ったことだった。
「生は偶然、死は必然」
と言う。
そうだろうか。
死が必然であるなら、死ぬまでは確実に生きている。
といことは、「生もまた必然」ということになるのではないか。
身近な人の死は、いろんなことを考えさせられるのだ。
先輩の死
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