年齢のせいか、それとも性格的なものか、これまでルーチン的に継続してきたことに区切りをつけたくなった。
たとえば毎年、お歳暮を頂戴する年長者がいらして、私もお返しとしてお贈りする。
盆暮れの挨拶は感謝を表するということにおいて、大切だと思っている。
ところが、何事も急ハンドルを切る私は、
(やめようかな)
と突如、思ってしまうのだ。
ある集まりで、毎年、贈っていただいている年長者に、そのことを告げた。
「もう、やめましょうか」
ざっくばらんが私の持ち味だが、いきなり切り出された年長者は驚いていた。
こういうことを最近、何回が繰り返している。
現状維持というのが、どうも性に合わないらしく、人生という湖に小石を投じたくなるのだ。
どんな波紋が広がっていくか、ワクワクしながら見ている。
むろん、いい波紋ばかりでなく、波紋が「波乱」になってしまうことも少なくない。
だが、波紋も波乱もない人生は、退屈なだけだ。
「治にいて乱を忘れず」という言葉があるが、「治にいては乱を起こす」という生き方でありたいと思っている。
だから愚妻を筆頭に、周囲の人たちは振りまわされ、迷惑を蒙るのだ。
そのことはわかってはいるが、雀が百まで踊りを忘れないように、私の性格は死ぬまで直るまい。
スズメ百まで
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