調べ事をしていて、「マイクロスリップ」という言葉に出くわした。
ざっくり言えば、
「必ずしも意識された修正ではない」
という意味だ。
たとえて言えば、卓上のコップを取ろうと手を伸ばしたとき、コップの大きさに合わせて手の開き具合を無意識に大きくしたり小さくしたり「修正」することだ。
これを拡大解釈すれば、「マイクロスリップ」の能力が、人間には大事だということ。
つまり、人間関係はじめ諸々の状況に応じて、無意識的に対応していく能力である。
もっと言えば、人生には予定調和はあり得ず、常に「マイクロスリップ」という無意識的修正が求められるということだ。
ところが、私たちは何とか将来を予見し、それに対応すべく準備を整えようとする。
それも、可能な限り、完璧を目指す。
だが、人生には予期せぬことが付きもので、準備を完璧にすればするほど「マイクロスリップ」ができなくなる。
皮肉なものです。
どうやら人生は、「出たとこ勝負」をもって最上ということなのだ。
ただし、これを実戦するには、少しばかり度胸がいるようですな。
「マイクロスリップ」という生き方
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