予定どおり、今朝からウォーキング再開。
といっても、仕事が押せ押せなので、徹夜のまま出かけた。
健康にあまりよろしくはないが、「2月から再開」と決めた以上、これは貫かなければならない。
前作の『人は理では動かず情で動く 田中角栄 人心収攬の極意』は依然として売れ行き好調。
そんなこともあり、3月には別の版元から「角栄本」を出すため、いま書いている最中なのだが、田中角栄のバイタリティーには頭が下がる。
およそ彼には「溜息」というものがない。
「人生、のんびり」
という生き方に惹かれはするが、角栄の半生をたどると、それは違うのではないかという思いにとらわれたりもするのだ。
角栄には「金権政治」という批判がついてまわる。
だが、それは的外れだ。
なぜなら日本の政治史において、「金権」でなかった時代などないからである。
角栄の資料を読んでいて、つらつら思うのは、マネー哲学の根幹は、
「カネを稼ぐために働くか」
「より働くために、カネを稼ぐか」
ということのような気がする。
先輩が、
「カネは汚く稼いで、きれいに使え」
と言ったことがある。
私たちは「稼ぐこと」には関心はあっても、「使うこと」には無頓着のような気がする。
「カネは使い方、人生は生き方」
要はアウトプットが大事のだ。
カネは使い方、人生は生き方
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