昨日の日曜日は、七回忌のお勤めをした。
いつものことだが、施主とお話しをすると、法事の先に人それぞれの人生模様が見えてくる。
来年の執筆予定の一つに、仏教関係のものもあるのだが、机上の学問を離れ、実際の活動をとおして現場に接していくうちに、どう書くべきか迷いが生じてくる。
教義を振りまわすのは「説く側」の視点であって、「説かれる側」の視点が抜け落ちているのではないか。
そう考えていくと、何をどう書くか、実に難しくなってくるのだが、これも自分に課せられたハードルだろうと思っている。
空手や古武道も同じだ。
ややもすれば「指導する側」の視点に居着いてしまい、情熱を込めて指導すればするほど「指導される側」の視点が抜け落ちていくようだ。
指導でも、説法でも、持論でも何でもそうだが、
「本当に、これで正しいのだろうか」
という自分に対する懐疑がなければ、これは独善というものだろう。
「信念」と「独善」の差は紙一重に見えて、実は天地の差があるように思うのである。
明日、一冊分の原稿を渡すので、年内、あと二冊。
好きで書いているので苦にはならないが、
「もっとうまく書けるのではないか」
「もっと深く書けるのではないか」
と自分を叱咤する。
法事で、人さまの人生に真摯に接すると、甘い自分にムチが入るようだ。
「信念」と「独善」
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