今朝の田圃一帯は濃霧。
ウォーキングする道を遠方に見渡せば、
「霧で道が見えないんじゃないか?」
と心配になるほどだった。
しかし、歩いていくと、視界は良くはないものの、道も周囲もよく見え、歩くのにまったく支障はない。
きっと、人生もそれと同じなのだろう。
先を見ようとすれば五里霧中。
心配になってくるが、いざその場に到達すると、目前の道はよく見えるものだ。
このことに気づくのが60半ばでなく、もっと早ければ、いま以上に気楽に生きて来れたのではないかと、いささか忸怩たる思いである。
一昨日は佐倉市民空手道大会があり、市内のほか県下から600名近い選手が出場。
盛況でありがたいことだが、これだけの規模になると審判員の数は50名以上が必要になり、県内外から応援に来ていただかなければならない。
また、得点や記録など、各コートを担当してくださる保護者も60名ほどが必要で、これは市連各道場で用意する。
毎年のことだが、秋の市民大会は市連あげての〝総力戦〟。
大変だが、大変であるだけに市連は結束力が強くなる。
一人では何もできないということを思い知らされる一日である。
ウォーキングは個人のことなので五里霧中でも何とかなるが、大会のようにお互いが協力して事に当たるものは、「何とかなる」の楽観は許されない。
人間関係には「責任」ということがついてまわることに、改めて思いを馳せつつのウォーキングであった。
濃霧の中のウォーキング
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