歳時記

「煩悩の道」を歩く

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 今朝からウォーキングの開始時間を5時15分に早めた。
 日差しが暑いと愚妻が文句を言うからだ。
 コースも修正した。
 私はこれまでどおり小川と田圃の周囲をぐるりと廻るが、愚妻は日差しを避けて、日陰の道を往復する。
 橋のところで二人は分かれ、私は右コース、愚妻は左コース。
 小川と田圃を挟んで、両者の距離は150メートルほどだろうか。
 愚妻がストックをついて歩く姿を、遠目に見る。
 チラリチラリと見やっていると、小川の向こうが煩悩にまみれた此岸(しがん)で、こちらが悟りの世界である彼岸(ひがん)のような気がしてくる。
 日陰は「煩悩の道」で、暑くとも日当たりのいいそれは「悟りの道」ということか。
 さっそく、そう命名した。
 京都には「哲学の道」があり、佐倉市には「煩悩の道」と「悟りの道」があるのだ。
「どうだ、わしは〝悟りの道〟で、お前が歩く道は〝煩悩の道〟だぞ」
 愚妻と合流し、得意になって告げると、
「ちょっと、こっちの道を歩いている人がいるんだから、大きな声で言わないでよ」
 眉間にシワを寄せた。
 かくのごとく、早朝ウォーキングでさえ、「煩悩の道」は人目を気にしながら歩くのだ。

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