歳時記

「無知」の直感

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 私は道場で〝白版〟をよく使う。
 言葉を漢字で説明するのだ。
 たとえば準備運動は自分たちでやらせるのだが、低学年のクラスは、言葉の意味を知らないで号令をかけていることに気がついたからだ。
「ゼンコウクツ!」
 子どもが声をあげる。
 私がふと気になって、
「おい、ゼンコウクツって、どういう意味だ?」
「知らない」
「クッシンは?」
「知らない」
 それで白版に字を書いて、
「クツは『屈』と書いて、この字は〝曲げる〟という意味。前に曲げると『前屈』、後ろに曲げると『後屈』。前と後ろに代わりばんこに曲げるから『前後屈』」
 こういう話をすると、知的好奇心が刺激されるのか、子供たちは熱心に私の話を聞く。
「いいか、稽古というのはだな」
 と、こんな話だとアクビしているのと好対照である。
 で、昨日。
 小学生の高学年に、漢字で説教をした。
 もっと稽古せよ、ということが私は言いたくて、
「『男』という字の意味を知っているか?」
 とイタズラ小僧たちに問いかけた。
「ウーン、わからない」
「この字はだな、田んぼに力と書くだろう? だから男は力いっぱい頑張れということだ。わかったか?」
「館長」
「なん?」
「『女』という字の意味は?」
 不意をつかれて、私は狼狽した。
「まだ調べていない」
「なんだ、館長、知らないの?」
 せっかくの説教も効果なく、なごかやな笑いのうちに幕となった。
 かつて企画関係の仕事を中心にやっていたころ、プレゼンに臨むときは、どこから突っ込まれてもいいように周到にシミュレーションしたもので、説得にはいささかの自信がある。
 ところが、子供たちの不意の質問に私は立ち往生だ。
 子供たちが相手だからといってナメてはいけない。
「無知の人間」であるからこそ、疑問は直感的で、鋭いのだ。

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