「忙しい」
と私が言うと、
「私のほうが忙しいわよ」
と、愚妻が張り合う。
「いや、わしのほうだ」
「私のほうです!」
不毛の張り合いが、このところ続いている。
これは「忙しい」が美徳と思っているからだろう。
なぜ「美徳」かと言えば、
「それだけ社会に、人に、仕事に必要とされている」
という無意識の思いによる。
だから定年後、「ヒマで毎日が日曜日」ということになると、気持ちが落ち込むのである。
ならばボランティアなど、「必要とされること」をやればいいのだ。
ところが、それは気が進まないのである。
以上のことから、「忙しい」を口にするのは、自惚(うぬぼ)れ。
「ヒマだ」を口にするのは身勝手。
どっちに転んでも、たいしたことはないのだ。
「忙しい」ということ
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