和製ベートンベン」の佐村河内守さんと、「割烹着リケジョ」の小保方晴子さん。
「騙した」「騙された」とメデイィアはヒステリックに騒いでいるが、私は「ウソ」に対する感性が鈍なのだろう。
「あっ、そ」
といった感じでテレビニュースを見ている。
ウソはもちろんよくないが、我が身を振り返れば、
「成り行きでつくウソ」
というのも少なくないからである。
いや、ウソは成り行きによって「雪ダルマ」になっていくのだ。
このことを親鸞は、
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
と喝破した。
戦地に赴けば、人が人を殺す。
「戦争」という縁に遇(あ)えば、どんな「善人」も人殺しにもなってしまういうことで、
「いま、あなたが人を殺さないのは、あなたが善人であるからではなく、そういう縁に遇っていないからだ」
というわけである。
ま、親鸞はさておき、私の関心は、お二人の名前である。
「佐村河内」と「小保方」。
珍しい名前は、ひとたび世に出ると強烈なインパクトを持つ。
これがプラスに作用しているうちはいいが、一転、バッシングを浴びるようになると、リアクションも強烈になる。
これから先、何年経とうとも、
「佐村河内です」
「小保方です」
と名乗るだけで、
「ああ、あの!」
というリアクションになるだろう。
これが「佐藤」や「鈴木」だと、
「ああ、あの!」
ということは絶対にない。
佐村河内、小保方両氏の今後の人生に思いを馳せると、「変わった名前」が重荷になるに違いないと、そんなことを考えるのである。
「佐村河内」と「小保方」
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