一昨日は、早朝より日光へ出かけた。
目的は2つ。
1つは、またぞろ時代小説を書いてみたくなったので、日光江戸村を見学することでモチベーションを高めること。
2つ目は、雪道をクルマで走りたくなったこと。
それで日光にしたのだ。
雪道を歩くのだから、それ用の靴を履き、完全装備で行ったところが、
「ちょっと、雪なんかないじゃないの!」
愚妻が批難の声をあげる。
空は抜けるような青空で、雪はまったくなし。
考えてみたら、日光というイメージから雪が降り積もっているものと、私が勝手に思い込んでいたに過ぎないのである。
坂になった東照宮の参道は小石が多く、私の〝冬シューズ〟はカカトが外れてしまった。
雪が積もっていれば、そんなことにはならなったろうに、腹立たしい限りであった。
一方、江戸村は楽しかった。
「おっ、これが旅籠か。おっ、板敷きだな」
私が感嘆すると、
「あら、知らなかったの」
時代劇ファンの愚妻がエラそうに言う。
「ほう、火消しの親分衆は、こんな狭い部屋にいたのか」
「あら、知らなかったの」
いちいち水を差すのである。
まっ、それはそれとして、冬場に来る観光客はいないそうで、アトラクションも並ぶことなく堪能できた。
ただ、アトラクション(芝居)が終わると、おヒネリを投げる。
もちろん強制ではないが、観客が少ないので、投げないと目立つ。
金額が少なすぎても申しわけない。
芝居を観ながら、
(いくら包もうか)
と余計なことを考えているのだ。
まったくもって損な性分だと、つくづく思った日光であった。
日光江戸村である
投稿日: