大津市の中学2年男子生徒が、いじめを苦に自殺した問題。
これほど悲しく、憤りを覚える事件はあるまい。
周知のように、学校と教育委員会の無責任さが糾弾されている。
「隠蔽体質」を指摘する識者も多い。
そのとおりだと思う。
彼らの怠慢は万死に値する。
だが一方、この中学校に限らず、学校の隠蔽体質には「保護者」も一因になってはいまいか。
先生が悪ガキをひっぱたいたら、
「体罰だ」
と保護者が抗議し、メディアが報じ、校長も教育長も頭をさげる。
これじゃ、悪ガキにナメられるだけだ。
悪ガキは、風に乗った凧と同じで、糸をゆるめたままにしておくと、どんつけあがっていく。
ときどきシメなくちゃダメだ。
私が道場で怒ることはめったにないが、何年か前、組手の稽古をしていて、ひとりの中学生がふざけ半分で、弱い同級生の顔にパンチを当てたことがある。
たまたまそれを目にした私は、パンチを当てた中学生の頬にビンタをくらわし、大声で怒鳴りつけた。
水を打ったように鎮まり返った道場で、私は全員に説教をした。
以後、そういうことは一切なくなった。
教師の体罰はもちろんよくないことだ。
「人徳」で生徒の指導ができればベストだ。
それはわかっている。
だが、それだけでは生徒の指導はできまい。
「ナメられる教師」にしたのは、いったい誰なのか。
親もメディアも、我が身を振り返るべきだろう。
誰が「ナメられる教師」をつくったのか
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