2012年版「子ども・若者白書」(15歳~29歳)の原案が発表された。
これによると、8割以上が、
「仕事で十分な収入が得られるかどうか」
「老後に年金を受け取れるかどうか」
に不安を感じているという。
実年・熟年、そして若者・子どもと、まさに「一億総不安の時代」になったということか。
だが、不安のない時代はない。
不安も、希望も、喜びも、そして現実を甘受するのもすべて「自分」である。
ところが私たちは原因を「外(社会や環境)」に求め、「外」と「内(自分)」というよう相対化し、二元論で考える。
ここに、不安の原因がある。
「外」は絶えず変化していくため、二元論で生きている限り、「内」もまた絶えず揺らぎ続け、定まることがないからである。
不安から解放されるには、「外」と「内」と二元論で考えるのではなく、「外」を「内」に取り込み、「すべては自分の心の問題」とすることだ。
つまり、「自分の心」と、どう折り合いをつけつつ生きていくか。
すべては、ここで決まるのである。
以前もふれたが、私は「あきらめる」という言葉に、生き方のヒントがあるように考えている。
「あきらめる」の反対は「執着」である。
執着から自分を開放する方法は「断念」だけでなく、「甘受」という生き方もあるのだ。
いま、九十九里の仕事部屋。
青空と、そよ風。
「気持ちいい」
と感じるか、
「それところじゃない」
と眉間にシワを寄せるか。
幸せは、案外、こんなことで決まるように思うのである。
不安の原因は「二元論」
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