昨夜、遊びに来た4歳の孫娘が、
「明日は豆まきだよ。鬼さんをやっつけるんだよ」
と、得意そうに言う。
「バカ者。豆で鬼がやっつけられるか。鬼は木刀でブン殴るんだ」
私がたしなめると、
「ちょっと!」
愚妻が鬼の顔で私をニラみつけた。
そう言えば昨年、「節分」についてブログを書いた記憶がある。
で、見てみると、ごちゃごちゃ書いたなかに、
《「鬼は外、福は内」とは、何と人間は欲張りなことであろうか。
「わが家から鬼を追い出せばいい」
「わが家に福がくればいい」
というのは、まさに身勝手。》
そんなくだりがある。
今は、「鬼は外、福は内」という言葉の意味について、とらえ方が変わってきた。
《外》とは「世間(人生)」のことで、「鬼は外」とは、
「人生は鬼が棲むごとくつらいことが多い」
という意味。
「福は内」とは、
「幸福は、自分自身のなかにある」
つまり、心の持ちようで、幸福にもなれば不幸にもなる、という意味にとらえる。
私が僧籍を置く浄土真宗では、迷信のたぐいを厳に戒めるため、節分行事はもちろん行わない。
だが、それはそれとして、4歳の孫娘でさえ節分の豆まきを口にすることを思えば、これはもはや「文化」である。
教義はさて措(お)くとして、「鬼は外、福は内」という言葉には、いろいろ考えさせられるのである。
節分に思う
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