立川談志さんの「お別れの会」をメディアが報じていた。
それぞれ弔辞がユーモアに富んでいて、とてもにぎやかだったようだ。
談志さんが謹厳実直な堅物であれば「お別れ会」に笑いはなかったろうが、弔辞にユーモアという〝不謹慎〟なことも、談志さんの人柄と生き方がそうさせるのだろう。
もし自分が死んで弔辞を読まれるとしたら、どんなものになるだろうか。
それがすなわち、いまの自分の「生き方」であり、周囲から見られている「自分像」ということになる。
談志さんが参議員に初当選したとき、週刊誌記者だった私が議員会館に取材に行くと、談志さんはソファに横になっていて、
「ヨオッ」
と笑った顔をいまも覚えている。
弔辞を想像して自分を知れ
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