《田あれば田に憂へ、宅(いえ)あれば宅に憂ふ。田なければ、また憂へて田あらんことを欲(おも)ふ。宅なけばまた憂へて宅あらんことを欲ふ》
経典『無量寿経』の一節である。
意味はおわかりのとおり、
「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。田がなければ田が欲しいと悩み、家がなければ家が欲しいと悩む」
ということから、
「有れば有ることで苦しみ、無ければ無いことを苦しむ。有れば有ることで憂(うれ)え、無ければ無いことを憂う。ゆえに憂いは、有る者も無い者も同じなのだ」
と説く。
とろが、凡夫たる私たちは、
「同じ苦しみなら、持てない苦しみより、持てる苦しみがのほうがいいじゃないか」
と思う。
家がないより、あったほうがいい。田畑がないより、あったほうがいい。
飢えの苦しみより、飽食の苦しみを選ぶのが人情だろう。
だが、本当にそれでいいのか。
戦後六十余年、私たちは「獲得する人生」をひた走ってきた。
お金、家、土地、車、電化製品、海外旅行、そして出世をめざした。
それらを獲得することで、幸せになれると信じていたからである。
結果はどうだったろうか。
日本が貧しかった時代とくらべて、私たちの心はどれだけ幸福感で満たされているだろうか。
答えは言うまでもないだろう。
私たちは「苦しむために努力する」という〝逆説の人生〟を生きているのだ。
私たちは「逆説の人生」を生きている
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