歳時記

「中道」という生き方

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 昨夜、風呂へ入ろうと思ったら、水が抜いてあって空になっていた。
 風呂掃除の途中で出かけたのだろう。
 愚妻は、近所の娘の家に孫を送って行った。
 ならば、たまには私が掃除して、湯を張ろうではないか。
 浴槽をゴシゴシ洗い、お湯の栓をひねって、二階の自室で仕事を始めた。
 しばらくして、愚妻が帰宅し、階下で、
「あッ!」
 と叫んだときに、ハタと気がついた。
 お湯を出しっぱなしにしていたのだ。
 愚妻が私を責める。
 お湯を出しっぱなしにしていたからではない。
 私の気まぐれな性格を怒るのだ。
「掃除なんかやったこともないくせに、どうしてやるのよ!」
 そして、
「ホントに気まぐれなんだから」
 そこで、私は厳かに口を開いた。
「聞け。私は気まぐれなのではない。中道の生き方をしておるのだ」
「チュウドウ? 何よ、それ」
「釈迦が説いた教えで、二つの対立するものを離れることだ。たとえば勤勉にかたよらず、怠惰にかたよらず、という生き方だな」
「何が言いたいのよ」
「中道の実践者は、一見、気まぐれに見えるということだ」
「怒るわよ!」
「もう怒っているではないか」
 中道の生き方とは、何とも誤解されやすいものなのである。

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