終戦直後の混乱期、弱体化した警察はヤクザの力を借りて、不法ヤミ市の撤去に乗り出した。
「目的は手段を正当化する」
というやつである。
いまふうのフレーズに置き換えれば、
「ヤクザの〝平和利用〟」
となる。
原子力も、爆弾でなく、発電に用いれば「平和利用」となる。
「電力を豊富にして産業を興し、国民を豊かにする」
という「目的」のために「手段」が正当化されてきたわけである。
だが、東日本大震災によって、
「何をもって豊とするか」
という懐疑が広がり、これまで「目的」としてたものが曖昧になってきた。
「目的」が曖昧になれば、「手段」は正当化されなくなり、脱原発は当然の流れということになる。
戦後の混乱から立ち直るにつれて、警察力は強化され、「平和利用」してきたはずのヤクザを一転、「社会の敵」として追放を始めた。
原子力発電をめぐる論議を聞いていると、そんなことを連想する。
今日、8月6日は、広島に原爆が落とされた日である。
「平和利用」の本質
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