「一流の人間になりたかったら、一流の人に会うこと」
私が大学四年生のとき、畏敬する出版界の先輩に言われた言葉だ。
以来、三十有余年。
週刊誌記者時代から現在まで、政財界はじめ芸能界、スポーツ界など一流の人には数え切れないほど会ってきたが、私は未(いま)だ一流の人間になれないでいる。
話が違うではないか。
先輩に抗議しようにも、すでに故人になられた。
で、昨夜。
仕事のあと、自宅の風呂につかっていたときのこと。
一流の「意味」について、ハタと思い当たったのである。
「人皆己々得たる所一つあるものなり」
とは、江戸初期の臨済宗の高僧・沢庵禅師の言葉で、
「人は皆それぞれの長所がある」
という意味だ。
私はこれまで、一流とは、功成り名を遂げた人だと思ってきたが、そうではないのだ。
人間はすべて、それぞれ「一流のモノ」を持っており、その「一流のモノ」を見抜いて接することが、「一流の人に会う」ということではないのか。
すなわち、人それぞれが持つ「一流のモノ」を見抜く眼力を養え、と先輩は言ったのかもしれないと、思い当たったのである。
そうと知らなかった私が、一流になれないのは、なるほど当然だと合点したのであった。
「一流の人間」とは何か
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