愚妻が、ヒザ痛を訴える。
訴えるといっても、私の胃痛のときのように、
「痛テテテテ」
と素直に口にするわけではなく、私の前で足を引きずり、無言のアピールをするのだ。
で、やむなく、
「どうした、ヒザが痛むのか」
と私が声をかけ、
「そうなのよ」
という会話になっていく。
「医者に行ってこいよ」
「でも、ヒザが痛いから」
「わかった、わしが連れて行こう」
かくのごとく、私はいつも愚妻の計略に引っかかるのである。
だが、今回はちがう。
「ヒザが痛むのか」
「そうなのよ」
「独生独死独去独来」
「なによ、それ」
「仏説無量寿経にいわく。人、愛欲の中にありて独り生まれ独り死し、独り去り独り来る。身(しん)みずからこれを当(う)くるに、代わるものあることなし。つまり」
と、私が解説する。
「おまえさんのヒザ痛は誰に代わってもらうこともできず、おまえさん自身が抱えて生きていかねばならないと、お釈迦さまは説いておる。気の毒だが、あきらめなさい」
すると、愚妻は柳眉を逆立て、
「じゃ、あなた、胃が痛いなんて言わないでよ。痛風が痛いなんて言わないでよ。首が凝(こ)るとか、脊柱管がどうとか、腹が減ったとか一切言わないでよ」
「おいおい、腹が減るは関係ないだろう」
「だって、あなたのお腹でしょ。私には関係ないわ」
お釈迦さんの深遠なる教えも、愚妻の前には木っ端微塵なのである。
愚妻のヒザ痛と「お釈迦さま」
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