歳時記

河童の川流れ

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 いつも行くウナギ屋のご主人に、額装した河童(カッパ)の版画をいただいた。
 小川芋銭(うせん)の河童の絵を模写したもので、大震災で家が揺れたとき、棚の奥から落ちてきたのだそうだ。
「こんなのがあったの、知らなかったなァ」
 ということで、
「道場に飾っとけば子供たちが珍しがるんじゃない?」
 それで頂戴したのである。
 かつて、拙著の〝故事ことわざ本〟で『河童の川流れ』について書いたことがある。
 河童という呼び名は「川(かわ)」と「わはら(童)」がくっついて「かわはらは」となり、それが訛って「かっぱ」になったともされる。
 身長が1メートル前後。口先が嘴状にとがっていて、頭上の皿とよばれるくぼみに少量の水を蓄え、背中は亀のような甲羅で覆われ、手足には水掻きがある。
 ご承知のように、頭上の皿が弱点で、乾いたり割れたりすると死んでしまうとされる。
 想像上の生き物とされる一方、民族的伝説も多い。たとえば「左甚五郎」にまつわる伝説だ。
 左甚五郎は江戸初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で、日光東照宮の〝眠り猫〟で知られるが、その彼が築城の際、人手が足りないため、わら人形に生命を吹き込んで手伝わせた。
 ところが、城が完成してしまうと、わら人形が不要になり、処置に困った左甚五郎が川へ捨てようとしたところ、
「私はこれから何を食べていけばいいのか」
 と、わら人形が尋ねた。
 これに対して左甚五郎が、
「人の尻を食らえ」
 と答えたことから、河童は川に棲み、水辺を通りかかったり、泳いだりしている人を水中に引き込み、尻から腸を抜くという伝説が生まれたとされる。
 おそらくこれは、左甚五郎が、彫刻に〝命を吹き込む〟ほどの技量の持ち主ということから生まれた伝説なのだろう。
 なぜ左甚五郎が「人の尻を食らえ」と言ったか定かではないが、いずれにせよ河童は泳ぎが得意で、一説には潜水時間は12時間に及ぶとされる。
 その河童ですら油断すれば川に流されるという戒(いまし)めから『河童の川流れ』ということわざが生まれたのである。
 だが、よくよく考えてみると、これは贅沢な戒めではないか。
 河童ほどの秀でた特技があってこその〝川流れ〟であって、特技がなければ〝川流れ〟することもないのだ。
 ウナギ屋のご主人にちょうだいした河童の版画を眺めながら、私がこの版画家から学ぶとしたら、〝川流れ〟ではなく、
「屁(へ)のカッパ」
 ではないか。
「おい、どうだ」
 と、版画を指さして愚妻に言った。
「この版画の河童を見よ。人生、何が起ころうとも〝屁のカッッパ〟でいけ、ということを教えているのだ」
「あら、この河童、あなたに似ていない?」
 大震災が起ころうとも、愚妻は元気なのだ。

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