会議において批判を封じ込める〝切り札〟は、
「じゃ、あなたがやってくれますか?」
これでいい。
相手が返事に口ごもれば、他の出席者に対して、
「みなさん、批判するときは〝火中の栗〟を拾う覚悟でお願いします。その覚悟なくして批判だけするのは傍観者のやることです。私たちは傍観者であってはならない」
むろん、これは詭弁(きべん)で、〝火中の栗〟を拾わなくても、意見も批判も大いにしてよいのだが、人間は、自分がやらずして批判することに後ろめたさを覚えるものだ。
だから、
「じゃ、おまえ、やれんのか」
と突っ込まれると、批判の矛先が鈍るというわけである。
普天間基地移設問題で、鳩山首相は、
「沖縄の負担を全国で分かち合う」
と、47都道府県の知事に問いかける姿勢を打ち出した。
要するに、
「わしのことをゴチャゴチャ批判しとるが、じゃ、おまえら、米軍基地を引き受け気があるのか」
と突っ込みを入れたのである。
国民が鳩山首相を非難しているのは、のらりくらりと言い逃ればかりして、「ウソをついたこと」に対してである。
その責任を頬っかむりして、
「引き受ける気がないなら、だまっとれ」
と問題をすり換えようとしている。
鳩山サン、どうやらソフトな外見と違って、素顔は悪い人のようである。
鳩山サンは〝悪い人〟かもな
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