歳時記

試合というハードル

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 稽古熱心な子供に理屈なく、不真面目な子供に理屈あり。
 最近、つくづく感じることである。
「足が痛い」
「ケガをした」
「疲れている」
 何だかんだ言って稽古をサボろうとする。
 反対に稽古熱心な子は、黙々と一人でも稽古をする。
 こんな子は、要するに集中力があるのだ。
 だから空手の稽古に限らず、勉強でも何でも、ある程度の域に達する。
 一方、理屈をこねて稽古をサボろうとする子は、集中力に劣り、他のことでも群を抜く存在にはなりにくい。
 なるほど、一事が万事とは、先人はよく言ったものである。
 しかし、面白いことに、稽古をサボるくせに試合には毎回、出場する子供がいる。
 本人は出場したくないのだが、親が「出なさい!」と尻を叩くため、嫌々ながら出場するわけだ。
 稽古をしていないのだから当然ながら負け、本人はますます稽古がイヤになる。
 ところが、何度も試合に出場しているうちに、何かの弾みでひょいと稽古熱心に変わっていくことがある。
 ここが、面白く、また素晴らしいところだ。
 たぶん、試合というハードルを嫌々ながらも飛び越えていくうちに、
「飛び越える」
 ということに対して気おくれしなくなるのだろう。
 そして、どうせ出場させられるのなら、
(勝ってみたい)
 という前向きな姿勢が芽生えてくる。
 かくして稽古熱心になり、集中力というものを知らず知らずのうちに身につけていくというわけである。
 ここに、試合に出ることの意義を私は感じると同時に、賢い親御さんだと感心する。
 子供だけではない。
 大人も、人生も同じではないか。
 嫌なこと、つらいことなど、ハードルがなければ人生はどんなに楽だろうかと思う。
 だが、それは所詮、逃避である。
 ハードルに対して〝言い訳〟という理屈をこねて、人生をサボろうとする。
 自分から人生を〝落ちこぼれて〟いくのだ。
 ハードルがあるから、日々に緊張感がある。
 空手の指導を通じて、そんなことを考えるのである。

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