トヨタ自動車のプリウスは、ホンダのインサイト人気に対抗すべく、価格を大幅ダウンして発売した。
「世界ナンバー1のトヨタが、そこまでえげつなくやるのか」
という批判の声もあったし、私もこのブログでそう書いた。
「売る」
ということはビジネスの基本だが、そのことだけにとらわれていると、大きく躓(つまず)く危険があるのは言うまでもないことだろう。
とはいえ、それは個々の企業姿勢の問題だから、私がとやかく言う筋合いではないが、トヨタの一連の報道を見ていて違和感を覚えたのは「トヨタ擁護」の論調である。
「たいした問題じゃないじゃないか」
「アメ車はもっとひどい」
「問題の本質はジャバン・バッシングだ」
こうした論調は、朝青龍に対するモンゴルの国民感情と同質ではないのか?
あるいは中国のギョーザ事件のとき、中国国民もそんな感情を抱いたのではなかったか?
だが、日本人の私たちにしてみれば、朝青龍の引退は当然であるし、中国ギョーザは当然非難されてしかるべきだった。
このギャップがナショナリズムに根ざしているとすれば、世界の経済も政治も所詮、サッカーのワールドカップを観戦するのと同じレベルで私たちは見ていることになる。
トヨタ問題に学ぶとしたらは、実はそのことではないかと私は思うのである。
トヨタ問題の本質
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